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【進撃の巨人】ミカサが王家の血を引いている可能性(ミカサ王家筋説)

 

注)以下は138話までの内容を含むネタバレ考察になります。

 

 「進撃の巨人」のメインキャラクターであるミカサ・アッカーマンは、アッカーマン家の血を引く父親と東洋の一族の末裔である母親の間に生まれた女性です。

 作中では、アッカーマン家は巨人科学の副産物であり、人の姿のまま一部巨人の力を発揮することが可能であると説明されています。

 また、東洋の一族はヒィズル国将軍家の末裔であり、フリッツ王家と懇意にしていたことが分かっています。私は、この2家が婚姻を繰り返すことで、ミカサ母、そしてミカサにもフリッツ王家の血が受け継がれているのではないかと考えています。王家同士の婚姻は歴史的に行われてきましたし、懇意にしている一族同士ならばなおのことあり得るのではないでしょうか。

 

 つまり、ミカサは人間でありながら巨人の力を保持し(アッカーマンの能力)、何かしらの固有の能力を持つ(頭痛に関係する?)ヒィズル国将軍家の末裔であり、かつフリッツ王家の血を引いているウルトラサラブレッドである、というのがミカサ王家筋説です。

 そうすると、ミカサは「王家の血を引く巨人」であり、ジークと同じ存在であると言えそうです。また、そうであるならば、始祖保持者との接触で座標を発動することが可能になるのではないでしょうか。

 

 ところで、始祖保持者と王家の血筋の接触というと、ヒストリアとエレンの接触によるフラッシュバック(=道を通じて「記憶」を見ること)が思い出されます。ヒストリアと父親がエレンに手を触れた際や、ヒストリアの手の甲にキスをした際にも記憶を見ています。このことから、王家筋の人間と接触することが、エレンが記憶を見るためのトリガーになっていると考えてよいでしょう。

 

 「記憶」を見る場面はその他にも何度かあります(1話の「いってらっしゃいエレン」や、10話でグリシャがエレンに注射を打とうとしている「記憶」を見ているシーンなど)。これらの場面では、ヒストリアやジークは登場しませんし、エレンは偶然「記憶」を見ているようにも思えます。しかし、もしミカサが王家の血を引いていたと仮定すると話は変わってきます。

 

 エレンが「記憶」を見た場面は、1,3、10、53、62、67、90、120、130,131話で登場します。このうち、62、90話はヒストリアと、120、130、131話はジークと接触していることが明確です。残るは1,3,10,53、67話ですが、このうち1,3,10,53話の記憶を見ている場面を確認すると…

 

第1話

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「記憶」を見るエレン

引用:『進撃の巨人』第1話(講談社, 諫山創)

 

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エレンを起こそうとして揺さぶるミカサ 

引用:『進撃の巨人』第1話(諫山創, 講談社)

第3話

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注射シーンの「記憶」を見るエレンと、頭痛を心配して肩に触れるミカサ 

引用:『進撃の巨人』第3話(講談社, 諫山創)

第10話

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榴弾から逃れるため、エレンを抱きかかえるミカサ

引用:『進撃の巨人』第10話(講談社, 諫山創)

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直後に「記憶」を見るエレン

引用:『進撃の巨人』第10話(講談社, 諫山創)

 

第53話

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フリーダの「記憶」を見るエレンと、心配して肩に触れるミカサ

引用:『進撃の巨人』第53話(講談社, 諫山創)

 

 いずれのシーンにおいてもミカサがエレンに触れていることが見て取れます。

 つまり、エレンはこれらの場面でたまたま「記憶」を見たのではなく、王家筋のミカサと接触したことがトリガーとなり「記憶」を見たのではないだろうかと考えることが出来ます。

 

 また、エレンが座標を発動したシーン(第50話)でも、実はミカサの王家の血が関係しているのではないか、と疑っています。

 座標は、「巨人の能力を保持する王家筋の人間」と「始祖保持者」の接触によって発動します。第50話においては、ダイナ巨人が王家の血を引いていて、始祖保持者のエレンと接触することで座標が発動(1度目の座標発動)しました。その後、もう一度座標を発動(2度目の座標発動)し、ライナー達の撃退に成功します。2度目の座標発動時に、エレンはダイナ巨人と接触していませんが、にもかかわらず座標は発動されます。初めて読んだ際には、一度座標が発動するとしばらくは猶予期間があり、能力を使用することが出来るのだと考えていました。

 しかし、137話を読むとこの考えにも疑問符が付きます。137話ではジークを殺すことで地ならし(=座標発動)が停止するのですが、ここで注目したいのは地ならしが停止したタイミングです。地ならしはジークを殺害した直後に停止しているのです。始祖保持者と王家巨人が接触を断った瞬間に座標の能力は使えなくなるのですから、座標に猶予期間などなく、2度目の座標発動は条件を満たしていないのではないでしょうか。

 

 加えて、第50話における2度目の座標発動時には、既にダイナ巨人は死亡しているように見えるのもポイントです。作中では基本的に、無垢巨人が死亡すると煙が立ち込めるので、無垢が死亡しているかは煙が出ているか否かが判断基準のひとつになります。1度目の座標発動により他の無垢巨人に襲われたダイナ巨人ですが、2度目の座標発動時には体から煙が出ており、既に死亡している?ようにも見えるのです。

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2度目の座標発動時に煙が出ているダイナ巨人 

引用:『進撃の巨人』第50話(講談社, 諫山創)

 ダイナ巨人が既に死亡しているにもかかわらず座標が発動可能であると考えるのにはやはり少々疑問ですし、2度目の座標発動には引っかかります。

 

 ここまで「2度目の座標発動は発動条件を満たしていないのではないか」について書きました。ここで、では何故座標は発動出来たのか?との疑問が生じます。しかし、これはミカサ王家筋説で説明可能となります。座標発動には、「巨人の能力を保持する王家筋の人間」と始祖保持者の接触が必須ですが、ミカサは巨人の力を人の姿のまま引き出せるアッカーマンの血を引き、かつ王家の血を引いているので、「巨人の能力を保持する王家筋の人間」に当たります。つまり、エレンとミカサが接触するだけで座標の発動は可能なのです。そして第50話の2度目の座標発動時に2人が接触していたかを確認すると…

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エレン2度目の座標発動 

引用:『進撃の巨人』第50話(講談社, 諫山創)

 がっつり接触していますね。(ちなみに、このミカサおんぶシーンは大好きなので、伏線だったとするとちょっと複雑です。)

 よって、2度目の座標発動は、ダイナ巨人との接触とは関係が無く、エレン+ミカサにより生じた、と言うことも出来そうです。

 

 また、138話におけるミカサの平行世界(?)のシーンも気になりますね。もしエレンが123話時点で逃げ出したとすると、その後ジークとの接触を果たすことも出来ず、座標によりグリシャにフリーダ殺害を命じることも出来ない。こうなると、グリシャは始祖の能力を取得することがそもそも不可能となるのだから、このシーンは平行世界ではなく、ミカサの単なる妄想に過ぎないと言われています。しかし、もしエレンとミカサの接触のみで座標が発動可能ならば、ジークとの接触は必要ありません。ですので、138話の世界はあり得た世界、平行世界であると説明可能かもしれません。

 さらに、巨人化跡をつけたエレンが「忘れてくれ、ミカサ…」と述べるシーンがあります。実はこれは座標の発動により記憶の改ざんを試みている場面である、と考えることも出来ます。エレン単体では座標を発動出来ない、即ち記憶の改ざんも不可能ですが、ミカサとならばそれも可能であるから試みたのではないでしょうか(ただしミカサは記憶改ざんを無効化するアッカーマンの血も引くので、試みは失敗に終わったようですが)。いずれにしても、解釈が分かれるシーンは、ミカサが王家の血を引くと考えると説明がつく…かもしれません。

 

 そして、最終話とのつながりでも、ミカサ王家筋説ならば色々と都合がいいのではないのかな…とも思います(ここからはメタ視点に基づく完全なる妄想です)。138話はミカサと生首エレンのキスで終わりました。キスといえばかなり濃厚な接触に分類される行為です。つまり、事切れる前の始祖エレンとミカサのキスで座標に移動、最後のエレンのターンが来る…なんてこともあり得るのではないでしょうか。

 「お前は自由だ…」のコマが最終話に来るのならば、エルディア人の巨人化能力が消滅するエンドではないかと前々から予想していますが、その為にはやはり座標の発動が必須だと思います。「巨人の能力を保持する王家筋の人間」に当てはまるジークが死亡し、王家の血を引くヒストリアが絶賛出産中であることを考えると、もはや座標の力は使えないようにも思えますが、ミカサが王家筋ならばもう一度座標発動が可能となりますし、もしかすると…。(その場合、エレンとミカサで世界を救う超胸熱展開がラストとなる可能性があるわけですね。)

 

 また、始祖ユミルの未練は何か?という問いにも一定の解答を与えることが出来るかもしれません。始祖ユミルは「愛」に対する未練を残し、まだ未練に縛られている状態であることは恐らく間違いないでしょう。では、「愛」とは一体どのような形の「愛」なのでしょうか?

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始祖ユミルの未練 

引用:別冊マガジン2021年3月号『進撃の巨人』(諫山創, 講談社)

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始祖ユミルの笑顔 

引用:別冊マガジン2021年4月号『進撃の巨人』(諫山創,講談社)

 138話最終コマの非常に満たされた笑顔から察するに、始祖ユミルはエレンとミカサの「愛」をある種の理想として捉えているように思われます。始祖ユミルは巨人の力を持つ奴隷であり、初代フリッツ王の子供を産み、奉仕していました。初代フリッツ王が暗殺の危機に見舞われた際にも、体を張って王を守ります。深手を負い意識が遠のいていく中、初代フリッツ王は、「愛」の対象としてではなく、強大な力を持つ奴隷としての始祖ユミルに対する言葉がけしかしませんでした。このことに対する絶望が未練となり、その後2000年も始祖ユミルを縛り続けているのです。だから、自由の奴隷として強大な力を行使し、世界中から憎み恐れられるエレン(≒始祖ユミル)と、そういった状況にあってもなおエレンに対して全身全霊の「愛」をぶつけるミカサ(=王家)のキスを、自分が得ることが出来なかった「愛」の結実として捉え満足したのではないでしょうか。

 138話最終コマの満面の笑みにはかなり驚きましたし、初見では理解し難かったです。しかし、得られなかった初代フリッツ王からの「愛」を、自らと似た境遇にあるエレンが、王家の血を引くミカサから受け取った場面を見て、「自らが求め続けた形の「愛」もあり得るのだな」と始祖ユミルが満足し、未練から解放された結果あの笑顔と考えると納得は行きます。

 そういった意味でも、ミカサが王家の血を引いていると都合が良いのではないでしょうか。

 

 

 と、ここまでミカサ王家筋説について書きましたが、そもそも昔から一緒にいて、接触により何度も「記憶」を見ていたのならば、ミカサが座標発動のキーであることに気が付かないものか?との疑問もあります。しかし、第50話で座標を発動した際、アルミンに指摘されるまでエレンは自分が巨人を操ったことにすら気が付きませんでした。このことを考えると、ミカサが座標と関係していることに気が付かなくても不思議ではありません。

 

 ちなみに、諫山先生は過去にこんなことも言っています。

 

Q.王家とアッカーマン家の2人から子供が生まれたらどちらの血が優先されますか?

A.それは普通に両方とも反映されると思います。

 

 この質問に敢えて回答すること自体が諫山先生からのヒントととるか、素で回答したに過ぎない(つまり深く考えていない、ロイヤルブラッドミカサちゃん説は間違い)ととるかはお任せしますが、いずれにしてもこの回答は王家筋説と矛盾はしないはずです。

 

 

 結論としては、ミカサ王家筋説とは、ミカサは王家の血を引き巨人の能力も持っているので、エレンとの接触で座標を発動することが出来る凄い子である可能性があり、最終回でも座標発動しちゃうのではないかという説です。

 「前回あれだけ美しく終わったのにまだエレンとの対話があるの?」とか、「そもそも最終回にそんな伏線回収している余裕があるの?」との疑問は当然ありますし、正直私自身もミカサ王家筋説が最終回でぶっこまれる可能性はほとんどないだろうと思っています。しかし、諫山先生はこれまでも数々の伏線を張ってきましたし、ミカサ王家筋説が物語と大きく矛盾する点はないので、もしかするとあり得るかもしれないとも思わせてくれます。それに、私にとっては考察行為自体が作品鑑賞の一環であるので、当たる当たらないに囚われることなく、自分が思うままに考察することに意味があるとも思います。いよいよ最終回を迎える事にドキドキしていますが、最後の最後まで楽しみたいですね。